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「幸せ作る農園」の始まり

農業を始めて早いもので5年です。

その5年間の中には実に様々な思いがありますが、華やかな部分はごくわずかで、ほとんどが黒歴史のようにいい思い出はありません。

夫婦二人で農家になることを決意してトマトを選び、すがすがしい思いで始めたはずの農業の道でしたが、思った以上に険しい道で思うように成果が出ませんでした。

農業の他に道が無く、諦めが悪いというよりも諦めるという選択肢は持ち合わせていません。

何とかトマトの5シーズン目に突入し、農業1年目で苦労して誕生した子供が保育園に行くことをきっかけに、今までの挽回を図ろうと思い切って栽植本数を増やしたり無茶な計画を立ててみましたが、トマトが赤くなるまでに作業が追いつかず、非常に大変な状況です。

妻は家の事を終わらせた後に作業に入るという形で、作業は僕が主となっていました。朝は4時から、夜は10時くらいまで働くという生活が続き、妻とは顔を合わせるものの、子供との時間はなく、家族と離れ1人でくらいハウスで苦行のような作業を行いました。

時には、保育園に行きたての子供が熱を出し、1週間の休養を余儀なくされ、妻もセットで休み。

その他にもいろいろと重なっては、トマトの作業がどんどんと遅れていきました。

計画が甘かった。と言えばそれまでですが、トマト農家になってからようやく本格的に活動できる事がうれしくて、できないことも出来ると過信していました。

そうして、作業が遅れに遅れてしまって手に負えない状況で、僕は潰れてしまいました。

赤くなり、割れてしまったトマトを見るたびに、どんどんと気持ちが落ちていきました。

最後の日に残った力でトマトの作業をしていましたが、僕は来年も生きているだろうか?と自分でも生きている事に確信が持てなくなるほど心にダメージを負っていました。子供の成長も、家族との時間も近いうちに消えて無くなるのではないかと思ってしまいました。

もちろん、僕は家族を残してそういうことをする気は一切ありませんし、残された妻が一人で子供を育てるのは想像できません。

その日は、何とか目標の最低限まで作業を終わらせて、帰宅すると妻と子供たちが明るく楽しく迎えてくれました。

そして妻にギブアップ宣言をしました。

その日から妻が主となり、僕が家事を代行し、調子が悪い日は圃場に行かない生活が数日続き今に至ります。

ここからこのブログ、僕達夫婦の「幸せ作る農園」が始まります。

どういう方向に行くのか僕らも正直わかりません。

でも夫婦仲良く笑顔をモットーに頑張ればきっと何かの花は咲かせられると信じて進んでみようと思います。

花が咲くまで何年かかるかわかりませんが、どうぞ応援をよろしくお願いいたします。

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